おわりに

    〔まとめ〕

1.道路が整備されていない時代に、人や馬で1俵ないし2俵ずつ運んでいた年貢米も、船を使うことによって、一気に数十倍も運べるようになった。
2.しかし、闘龍灘のように船の行く手を阻むような難所があり、人々は一旦荷物を降ろし、船を岸へ引き上げて運び、再び川に船を浮かべなければならなかった。
3.そこで阿江与助のように、民衆と共に一生懸命川の開削に取り組む英雄が出てきた。
4.スムーズに加古川を上下できるようになった高瀬舟は、内陸部の米や木材を海の玄関口、高砂まで運び、空っぽになった船に塩や肥料や日用品を積み、むしろの帆を立てたり、縄で引っ張ったりして戻ってきた。
5.加古川には、当時11ヶ所の河の港、河岸があり、荷物の積み下ろしや乗組員が泊まったりして賑わっていた。
6.そうした河岸の賑わいが流域の産業や町の発展をもたらした。
7.高瀬舟のルーツは備前(岡山)の吉井川で、それを見た角倉了以が東へと広めていった。

     〔発見!〕

1.舟運は、約300年間も物だけでなく、経済や文化も運ぶという重要な役割を果たしていた。
2.川は当時の高速道路で人々の生活と深く関わっていた。
3.高瀬舟も川によって運ぶ品物や大きさ・形が違っていた。

     〔提言〕

・僕の住む滝野町は、阿江与助のような先人の努力のおかげで、川が切り開かれ、高瀬舟による舟運が栄え、発展してきたが、鉄道の開通や産業の発達と共に人々は川のことを忘れ、工場廃水や生活排水をただ流すだけの川となってしまった。
・しかし滝野町では、それではいけないと加古川に関する資料館を造ったり、みんなで寄付をして阿江与助の銅像を再建したり、紙芝居や絵本、テレビ番組を作ったりして先人の努力を残そうとしているのは、大切なことだと思う。

・僕たちは、加古川の舟運が流域にもたらした歴史の重みを忘れずに美しい加古川を次の世代に引き継いでいかなければならないと思う。


審査員の皆様、協力して下さった皆様ありがとうございました。