安土桃山〜江戸時代にかけて、朱印船貿易と河川土木事業に活躍した商人。京都市の富裕な商家に生まれ、江戸幕府の命により、現在のベトナムとの貿易を進めた。これによって得た莫大な利益で、53才の時・慶長11年(1606)年から半年余りかけて大堰川(保津川下流)の開削を行った。この開削によって丹波から米および材木などの物資搬送は、険しい山道を通ることなく都へ運ばれることになる。
続いて富士川でも同様の工事を実施した。さらに、鴨川に並行して京都から伏見に至る細い運河を掘り、これを通って淀川につながる水上交通路を開いた。これによって、大坂まで荷物を運ぶ舟の行き来が盛んになった。この運河が高瀬川である。
慶長九年(1604)角倉了以が吉井川(岡山県)の高瀬舟を見て京都その他の地にこれを流行させたという。 |
ぼくの考える人物像
この行動力と優れたセンスは、今なら外務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣にピッタリだ。それに、高瀬川には水がいつもきれいであるように、樋門(ひもん)や汚水抜きの溝まで配置されてあったというから、環境大臣にも向いている。
工事に当たっては、人任せではなく自ら石割り斧をふるって仕事をし、また大堰川の開削工事で亡くなった人たちをとむらう目的で京都の嵐山に大悲閣千光寺を建てたそうだから、やさしい心の持ち主でもあったのだと思う。
|
|